待雪葬

Episode 0 「彼女が魔女になる前に」


よろしければ
より作品世界を感じていただくため
BGMとともにお楽しみください




 雪が降っている。
 暗闇の中、音も立てずに冷たく重い雪が空から落ちてくる。ふわふわとしたそれとは違い、しっとりと水を含んだ重たさが地面に落ちては融け落ちては融け……固く地面に重なっていく。幾重にも重なった雪は地面を覆い、やがて飲み込む。
 頬に落ちてきた雪の冷たさに身体が震える。身体の熱に溶かされた雪が融けて水になり、首を伝い、やがて蒸発していく。息を深く吸い込む。喉を刺すような冷たさが肺いっぱいに広がる。そうして身体と同化していく。雪が、身体に、同化していく。
 私は一人だ。
 雪と溶けて、そうしてこの世界で、一人で、融けていく。誰も巻き込まないで、一人で。
 微睡むのは私一人で十分なのだから。
 ふっと雪に包まれた空に明かりが差し込んだ。誰かの声が聞こえる。明るくて眩しい声が、何かを必死に叫んでいる。その声に世界が崩れ落ちていく。やめて、お願い、やめないで。相反する心が右に左に引っ張られる。これは夢だ。見てはいけない夢だ。
 世界が、融けていく。


「……ノウ、スノウ!」
 目が覚めるような声が耳に飛び込んできて、スノウは微睡みの世界から呼び戻された。夢の中の柔らかく遠い感触がまだ全身を覆っている。ぼんやりと目を開けると、なおも声の主はスノウの名前を呼ぶ。
「スノウ! ねえスノウー!」
 ああ、アリソンだ。そう認識するとスノウの瞳はようやくぱっちりと開いた。真紅の瞳を輝かせ、数回瞬きし、腕を前に突出し身体をぐっと伸ばす。
 ああ、やっと起きた。何だかとても恐ろしい夢を見ていたような気がする。普段目覚めがいい自分にとってはめずらしいことだなと思いながら、スノウは身を預けていた揺り椅子から立ち上がり、窓から外を見下ろした。そこには思ったとおりの人物が溢れんばかりに手を振りながら立っていた。
「あ、やっと出てきた! おはよう、ねぼすけさん!」
 スノウを起こした鈴を転がすような声の正体が満面の笑みをこちらに向ける。その純粋で朴訥な笑顔に、スノウは心のどこかを引っかかれたようなむず痒い気持ちを抱いてしまう。こんな感情、知りたくなかったのに。やっぱりアリソンにはかなわない。
「おはよう、アリソン」
「おはようスノウ」
 はにかむように笑いあう少女たちを包むように、白い雪が降っている。

◇◆◇

 スノウがアリソンと出会ったのは数か月前の夕暮れのことだ。
 まち外れの丘に位置するスノウの塔には、訪問者は中々やってこない。ひとりで暮らすアリソンは、その日もいつもと同じように夕飯の支度をしようと、スノードロップを模した形のランタンを手に、家の外に水を汲みに出た。一瞬空気の冷たさが身を包むが、すぐになれる。裏にある井戸に向かうため、塔をぐるりと回る。いつもと変わらずスノードロップの白い花がスノウの目に映る。昔から塔の周りに群生して咲き誇るその花は、スノウ自身に似ているような気がして少し切ない。
「他の花は咲かないわね」
スノードロップに向かってそっと独り言を言いながら、井戸へと歩く。その光景はいつもと同じ……はずだった。不意に、白に慣れたスノウの目に、普段目にしない「色」が飛び込んできた。
(明るい黄色。……いや、茶色? というか、これは、何?)
 目に広がる色彩に一瞬めまいを覚える。そうしてやっと認識する。ああ、これは、人だ。
 金を帯びた茶髪に煌めく金の瞳を抱いた可憐な少女は、地面にしゃがみ込んで、スノードロップの花びらにそっと口づけをしていた。
「……っ」
 幻想的ともいえるその光景に、思わず息を飲む。アリソンは動揺のあまり手にしたランタンを落とした。カシャン、と響く音に金の少女はこちらを振り向いた。
「あっ……ごめんなさい!」
 驚いた表情を顔に浮かべた彼女は、あわてて立ち上がり頭を下げた。
「いいえこちらこそ、びっくりさせてごめんなさい」
 スノウもあわててランタンを拾い上げ、そっと彼女の顔を覗き込む。
 金の少女はぱちくりと瞬きを繰り返し、そしてくしゃっと微笑んだ。
「うん、びっくりした。あんまりきれいだから、スノードロップの妖精かと思った」
「え……」
 屈託のない笑顔に、思わず頬が熱くなるのがわかる。何を言っているのだろうこの子は。
「はじめまして! 私はアリソン。あなたは?」
「……私はスノウ」
 これが、ふたりの出会いだった。

 薪がぱちぱちと音を立てて勢いよく燃えている。暖かい部屋の中、暖炉を囲むように二人はスノウが入れた紅茶を飲みながら話を弾ませていた。まるで既知の友人のように会話ができることにスノウは驚いた。アリソンは町の中心部に住んでいて、学園に通っている。三人姉妹の末っ子で、父親が医者をしている。趣味は空を見ることらしい。町のこと、アリソンのこと、それからスノウのこと。二人はたくさんの話をした。
「……ええっじゃあ、スノウはここに一人で住んでるの?」
「ええ、そうよ」
 猫舌なのか紅茶にふうーっと繰り返し息をふきかけていたスノウが、アリソンの言葉に驚いた声を上げた。それどころか、人嫌いの気がある自分がこの家に他人を入れたのは、記憶のある限り初めてだと伝えたらアリソンはどんな顔をするのだろうか。スノウは心のなかで独りごちる。この迷い込んだ少女を入れてしまったのはなぜだろう。屈託のないひまわりのような瞳がどこか気になってしまったからかな。
「寂しくない?」
「寂しくはないわ。もうずっと一人だもの」
「この広い塔で?」
「ええ」
 母が亡くなって以来スノウは一人きりでこの塔に生きてきた。それは母の望みでもあり、スノウの望みでもあった。
(……スノウ。スノウ、ごめんね。あなたをそうしてしまって。)
 脳内に母の声が響く。身体は弱いが、意思は強く凛とした人だった。
(スノウ、あなたは人を、)
「スノウ?」
 アリソンの声で現実に引き戻される。記憶の渦に飲まれそうになっていたことを恥じ、スノウは小さく唇を噛んだ。
「ごめんなさい、なんでもないの」
 スノウの表情をどう解釈したのか、アリソンは少し瞬きを繰り返したあと、にっこりと笑みを浮かべスノウの顔を覗き込んだ。
「これからは私が遊びにくるわ! 迷惑じゃない?」
「……っ」
 その言葉にスノウは大きな目を丸くした。それは、本当はできないのだ。母の声を反芻する。迷惑だと、言わなければ。……言わなければ、いけないのに。
「……うん」
 その一言がどうしてもスノウには言えなかった。
 それから、アリソンがスノウの家に毎日通うようになるまで、時間はかからなかった。

◇◆◇

「今日はね、カップケーキを持ってきたの! チョコレートのやつと、レモンピールのやつ。あとサンドイッチも少し」
「おいしそう! 私はセイロンの茶葉を用意したけど、合うかしら」
「そんなの絶対美味しいに決まってる!」
 アリソンは満面の笑みを浮かべながらまだ温かいカップケーキをよそっている。一方スノウはお湯を沸かしてミルクを温め、紅茶を入れる。日によって時間は違うけれど、二人にとっていつものお決まりの行動だ。お湯が湧くのを待っているアリソンは、スノウに断りを入れてひざ掛けを二人分持ってきて椅子においた。ぶるっと身体を震わせ両腕をさする。
「なんだか最近ますます寒いね。雪がずっと止まなくて、いつか町全体が雪で埋まっちゃいそう」
「……そうね」
「町の人も変な想像ばっかり働かせててさ。雪が降り止まないのは魔女の仕業だとか噂話ばっかりしてる」
 アリソンの言葉にスノウは一瞬動きを止めた。絞り出すように答えたスノウの顔が強張っていることに気付いたアリソンは、スノウのおでこにこつん、とおでこを合わせて、スノウの手を取りにっこり笑った。
「ああ、怖がらせてごめん! 私がいるから大丈夫だよ、スノウ!」
「アリソン」
 おまけによしよし、と頭を撫でられ、子供のようなアリソンの扱いに、スノウは少しだけ泣きそうになりながら笑った。ごめんねアリソン。ありがとう。心の中で呟きながら肩におでこを預けると、アリソンはスノウの身体を抱きしめてくる。自分一人でしっかりと生きてきたはずなのに、最近は少しおかしいとスノウは思う。
「そうだ! 今日は私に花言葉を教えてくれる?」
「もちろん。アリソンにぴったりの花も教えるわ」
「やったあ! じゃあまずはご飯食べよ! お腹ペコペコになっちゃった」
「そうしましょう。アリソンは今日もロイヤルミルクティーでいい?」
「うん! 私スノウの入れるミルクティー大好き」
 少し照れたようにはにかみながらアリソンが言う。スノウ自身は紅茶はストレートが好きだが、アリソンのおかげでロイヤルミルクティーを入れるのも慣れた。手早く用意をし、二人で席についた。食事のあいさつをし、カップケーキを手にする。アリソンは好きなチョコレート味から、スノウはレモンピールの方にした。
「あっおいしい」
「……おいしい」
 ほぼ同時のタイミングで口にしたその言葉に、思わず二人で笑ってしまう。
「おいしいを共有できるのって素敵だねー」
 チョコを口の端につけた顔で笑いながらアリソンが言う。
「そうね」
 スノウもつられて笑った。
「この時間は私達二人だけのものだね」
「どういう意味?」
「誰にも邪魔させないってこと」
「なあにそれ」
 いつものように笑いながら、アリソンはたまにやけに色めいたことをいう。スノウは照れ隠しに肩をすくめた。アリソンは気付かないまま2つ目のカップケーキに手を伸ばす。
「この時間が永遠に続けばいいのになあ。学園の先生も町の人も、みんなああだこうだうるさくていやになっちゃう」
「みんなアリソンのことを思って言ってくれてるのよ」
「スノウまでそんな当たり前みたいなこという? みんな「私のため」って言って自分のための話をしているだけだと思うわ」
「それでも、守りたいものがあるのね」
「私はそんなものはいらない。自分が守りたいものだけ守るの」
 不意に意思の強い瞳がスノウを貫く。魅入られるようにスノウがじっと見つめ返すと、アリソンはすっと目をそらして、なんてね、と呟いた。
「アリソン」
「なあに」
「私も、あなたのように生きたい」
 スノウは虚空を見つめていった。


 二人で過ごすと時間はあっという間だ。雲に覆われた空では、暗くなるのも早い。
 まだ早い、帰りたくないと駄々をこねるアリソンをなんとか促し、席を立たせる。スノウだって帰ってほしいわけではないけれど、遅くなると危ないし、アリソンの親御さんに変な心配をかけたくない。庭先まで送ると伝えると、アリソンは諦めたのかすごすごと歩き始めた。玄関の扉を出て、スノードロップの庭を抜ける。歩きながらアリソンは大きなため息をついた。
「泊まって行ければいいのになあ」
「だめよ。明日からまた学園でしょう」
「だって学園にはスノウがいないんだもの」
「アリソン」
 困ったようなスノウの顔を横目で見つめ、アリソンは唇を噛んでごめん、といった。
「スノウを困らせたいわけじゃないの。ごめんなさい」
「わかっているわ」
 スノウが学園に通っていない理由をアリソンは聞いたことがない。それがアリソンなりに気を遣ってのことだと、スノウにはわかっていた。そろそろ言わなければいけないときかもしれない。スノウは小さく息を吸って、そっと吐いた。
「アリソン、私はね、人と関わらないようにして生きてきたの」
「スノウ……?」
「それが母からの遺言でもあり、私の意思でもあったから。ずっと人から離れて、母と……母が亡くなってからは、一人で生きてきた。でもね、その分家でたくさん勉強をしたわ。学ぶことは嫌じゃなかった。世界に私だけじゃないと確認できたから。……でもね」
 スノウは小さく笑う。
「あなたと会ってから、勉強以上に世界を確認する方法を知ってしまった」
「スノウっ」
「アリソン。私も、あなたと一緒に学園に通いたかった」
 にっこりと悲しそうな笑みを浮かべながらスノウは言った。アリソンは思わずと言ったようにスノウの腕を掴む。スノウの手に握られたランタンが揺れた。
「スノウも学園に通おうよ! 私が先生に伝えるわ。スノウなら、きっとみんなと仲良くなれる。だから」
「ごめんねアリソン。それはできない」
「でも」
「できないの」
 柔らかくしかし強い拒絶の意思をスノウは示した。アリソンは何かをいいかけ、そっと口をつぐんだ。腕に込めた力を弱め、代わりに自分の手を握りしめる。スノウは離された腕を手に取り、ぎゅっと握った。
「だから、これを私の代わりに持っていって」
「これ……」
 スノードロップを模したランタン。それは、初めて出会ったあの日に、それからいつも、スノウが欠かさず身のそばにおいているものだとアリソンはわかっていた。
「大事なものでしょう」
「うん。母の形見で、私の道標でもあるの。だからアリソン、あなたが持っていて。私が道に迷ったらあなたが道を照らしてね」
「なんでそんなこというの! スノウのばか!」
「ばかはひどくないかしら、ただなんとなくそんな気持ちになったの」
 溢れんばかりの涙を目に浮かべ、顔を真っ赤にして怒るアリソンに、スノウは昼間のお返しとばかりによしよしと頭をなでた。子供扱いされたと感じたのかアリソンは涙をぐいっと拭い、スノウからランタンを受け取る。
「迷子にならなくても、いつでも一緒にいるわ」
「ふふ、ありがとう」
 アリソンの言葉にスノウはにっこりと微笑む。それを見て、アリソンも怒っていた気持ちがどこかに飛んで行き、笑ってしまう。
 にこにこと照れくさそうに笑い合う二人の少女。
 二人を包み、やがて覆うように。
 白い雪が、降っている。

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